父との別れ

 

 人には出会いと別れがある。1968年(昭和43年)3月に大学進学のため、故郷鹿児島県南九州市知覧を離れた。その時、父が「これからお前には何も言わない。自分の責任でやれ。」と言った。すべての行動の責任は自分で持てということだろう。その年の10月視察旅行で上京してきた父と最初で最後の親子喧嘩を酒に酔っ払ってした。多分自分の父への甘えだったのだろう。翌年の1月24日深夜「チチキトク」の電報が届いた。交通事故による死だ。57歳の生涯だった。丁度その日成人祝にと一万円の送金を受けていた。

 五人の子供を育てるために母と必死に働き、五人のうち四人を鹿児島市内に下宿させ高校へ、うち三人を関東の大学に進学させた。農家の仕事でよくできたものだと思う。田畑の切り売りもしたようだ。私の名前は「東二」だが東京大学の「東」をとったものだ。悲しくつらい別れだった。


前原東二
前原東二