M・Yとの別れ

 

 大学で準硬式野球部に入部した。その時の特に仲のよかった仲間が2人いた。M・YとY・Tだ。彼らとの悪行の数々はまた書くこととしたい。M・Yは薬学部を卒業後、持田製薬に入社した。人生の分かれ目は不思議だ。武田薬品に親せきがいて、その誘いで関係会社の天藤製薬に転職した。大阪に転居だ。実家(千葉県市原市)から大阪に帰る時、事故にまき込まれた。

 日航機の御巣鷹山墜落だ。その時私は近くの居酒屋で一杯やりながら夕食を食べていた。テレビの上画面に速報が流れ日航機事故を報道した。多くの犠牲者がでた模様だと。自宅に帰り、深夜M・Yの弟から電話があり兄家族四人が犠牲にあったようだと。1985年(昭和60年)8月12日没。わずか37歳である。あの時、天藤製薬に転職していなければ…。

 大阪に行ったときよく二人で飲んだ。私がサラリーマンを辞め、自営したとき、渋沢栄一の本をくれ「渋沢栄一を目指せ」といってくれた言葉を忘れられない。


前原東二
前原東二